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「生まれと育ち」


熱田設計の古い倉庫から見つけ出した物の中には、
サービスマニュアルやパーツカタ ログ以外に
開発当時の写真等の貴重な物や、古い愛知機械工業の社内報もあった。
ある社内報では昔の自社製品の記憶を特集記事として綴っており、
その中にはAF3を開発した当時の時代背景や開発経緯が紹介されていた。
我々も初めて知ったとても面白い内容、ちょっと読んでみてね。

軽三輪車から軽四輪車開発へ
「軽三輪車コニーAA27型」
■軽三輪車ブームと軽三輪車コニー

昭和33年(1958)から34年にかけて、オート三輪車と小型四輪トラックの生産台数は逆転し、小型四輪車が優位に立った。
このような小型四輪車の攻勢が強まるなかで、オート三輪車メーカーは次々と軽三輪車・軽四輪車部門への進出を開始し、生産の主力はオート三輪車から軽自動車へと移っていった。
32年8月、ダイハツ工業(株)が軽三輪トラック「ミゼット」を発売した。このミゼットは、軽免許、安価(20万円前後)、燃費の良さ、維持費の安さなど、手軽さと経済性を売物とする軽三輪車ブームの火付け役となり、東洋工業(株)の「マツダK360トラック」(34年5月)、新三菱重工業(株)の「レオ」(34年8月)などが相次いで発売された。
こうした状況のもと、オート三輪車ヂャイアントは当社創業以来の主力商品として順調な伸びを示してきたが、31年下期の4,465台をピークに下降に転じ、32年度には前年度比90%、33年度には同70%へと落ち込んだ。
当社においても市場ニーズに対応して、33年12月、ダイハツミゼットのひと回り上をねらって開発した、軽三輪トラック「コニーAA27型」を発表、34年3月から発売した。バックボーンタイプのフレームに丸ハンドルを装備、エンジンは軽自動車枠いっぱいの359cc、最大出力15.6馬力、水平対向2気筒、強制空冷「AE57型」を搭載し、頑丈で実用的な車であった。
しかし、当社では軽三輪トラックは過渡期の商品として認識していたので、並行して軽四輪車の開発、生産準備を進め、軽四輪車市場への本格的参入を図ることにした。それでも軽三輪車コニーは、35年6月の生産打切りまでの約1年半で累計6,935台を生産、販売した。

「軽三輪車コニーAA27型」■軽四輪車コニー360の誕生

軽三輪車から軽四輪車へのステップは、小型四輪車と比較して、機構的にもスタイル的にも負けない車を開発するというコンセプトに基づき、慎重に取り組んだ。
試験車によるテストと並行して、専門デザイナーによる本格的なスタイリングを始めた。このスタイル面では、ユニークなタイプを打ち出すための直線構成と、低く軽快に見せるためアクセントの強い* ビードを取り入れた。またヘッドランプ回りにも個性を出し、機構的にも小型四輪車に劣らないものを採用した。
こうして、当社初の軽四輪車「コニー360トラックAF3型」を昭和34年(1959)10月に発表、12月から発売した。
35年4月には「コニー360ライトバンAF3V型」を発表、6月から発売した。AF3型シリーズは8月に生産累計1万台を突破した。このAF3型シリーズは、37年に累計56,542台で生産を打ち切り、AF7型シリーズにモデルチェンジした。

* ビード
パネルに装飾、補強などの目的で作るひも状の突起

■コニーのカラーリングは栄で決まった

軽四輪トラック「コニー360」のデザインは、昭和33年(1958)5月、東京の新大久保にあった宮田デザイナーの事務所で始まった。
コニーは「楽しく仕事ができる、明るく、運転のしやすいクルマ」というコンセプトが設定されていた。このためデザインは、親しみやすさ、軽快感、安定感をテーマとして進められたが、「軽自動車」という限られたサイズのなかでいかにボリューム感を出すかが最大の難問であった。しかも、アイデアスケッチはわずか2週間という限られた時間のなかで、答を出さなければならなかった。その間、デザイナーは文字通り不眠不休であったという。
当時、クルマのデザインはフェンダーの前にヘッドライトを置くのが主流であったが、コニーはそうしたデザインから脱却することで独創性を追求。“カエルの目玉”の愛称で親しまれた特徴的なヘッドライトを持ち、ボンネットのラインを車体の側面まで延ばした当時としては斬新なデザインを完成させた。
全長約60cmの5分の1クレイモデルも、わずか2ヵ月という短い期間で製作された。この頃、粘土はメガネケース2個分の大きさ(約100g)で2,000円。粘土を削る道具もデザイナーの手作りであった。
最終的にカラーリングを決定したのは、名古屋の栄であった。カラーリングの異なる数台のコニーを走らせ、街の中でいちばん映えるツートンカラーに決定したのである。

「軽三輪車コニーAA27型」■ペットネーム「コニー」

当社は、昭和33年(1958)年12月に発表した軽三輪車トラックのペットネームを、全国の大都市圏を中心にマスコミ媒体を通じて募集した。同車の宣伝効果を狙ったものであるが反響は予想以上に大きく、34年1月20日の締切りまでに1万7,111通の応募があった。
そのなかから最終的に33点に絞り込み、慎重に選考した結果、「コニー」(Cony=兎の古語)を選定、「ヂャイアント」に代わる愛称として当社の軽四輪車すべてに用いることにした。
なお、当選者には賞品として、テレビ・電気冷蔵庫などを、その他多数の応募者にも抽選により賞品を贈った。

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